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デジタルアーカイブ

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大阪府では、関西を拠点に戦後の美術界で活躍した現代美術作家の作品をはじめ、1990年代に開催した「大阪トリエンナーレ」の受賞作品など、絵画や版画、彫刻、写真等約7,900点の美術作品「大阪府20世紀美術コレクション」を所蔵しています。ここでは、その所蔵作品を、作品名や作家名、キーワードから検索し閲覧いただけます。

作家解説

  • 田中 幸太郎
  • Kotaro TANAKA

三重県伊勢市で生まれる。1932年、大阪で創作写真グループ稚草社の創立に参加する。1948年、朝日新聞社出版局の仕事を始め、1955年には写真による河内風土記の取材を始める。河内風土記は、その約30年後の1993年に、京阪ギャラリー・オブ・アーツ・アンド・サイエンスでの「日本の原風景・河内」展として発表され、さらに写真集「シャモとレンコン畑」となって結実している。
1962年、田中の写真はピカソがカメラの前で懐中電灯を振ってデッサンする姿を思い出して、花火の光跡を追うカラー抽象写真による表現がはじまる。抽象写真については、1969年ヴェトナムの焼身事件に触発されて、花火の光跡の構成による「焼身」を、国画会写真部に発表、同年には今橋画廊で「火の踊り」と題した個展を開催する。以後、田中は花火による抽象写真家として知られるようになるが、こうした仕事とは別に、1969年1月から1995年11月の26年間にわたって、大阪府社会保険時報の表紙写真を手掛ける。この一連の仕事では、田中は作家が愛着をもって住まいまでも移した河内地域はもとより、大阪府全域をくまなく取材し、撮影している。1978年、日本写真協会より功労賞を受賞。1994年、大阪市より文化功労賞受賞。1989年、枚方市民ギャラリーで個展「光跡百描」。写真集として「色彩交響楽」 「光跡万華」 「夢千夜」などがある。
大阪府は、1997年、「花火による抽象写真」 100点を購入、また「花火による抽象写真」100点の寄贈を受けた。

主要参考文献

「写真集光跡」1978.1
「作品集光跡万華」田中キミヱ作品編集委員会1996.11
「夢千夜」写真編集委員会ビレッジプレス1990.11